え~~~
今年に入って、かなりしんどい毎日で
(しつこいくらい、何度も言ってますが
)
次から次と、ビッグウエーブ
が押し寄せて来ました。
その度、押しつぶされないように
なんとか立ってるのに必死で。。。
私、大丈夫???
って自分で自分が心配になるくらいでした
長くなりますが、少し書こうと思います。
昨年の3月、震災後に
幼馴染みのK君が
神奈川在住、同級生S君へ安否確認で電話をした所
幸い地震の被害も無く、無事だけど・・・・
実は、末期癌なんだ。。。と告げられたと
私に連絡がありました。
S君とは実家も近所で、兄が同級生なのもあって
小学校時代は、家族ぐるみで仲良くさせてもらってました。
どうしたらいいのか
私は何をするべきなのか。。。
20歳の同窓会で会って以来です。
震災のショックもあり、何も考えれないまま2週間が過ぎ
3月末、とにかく本人と話さなきゃ!と思い、電話をしました。
大まかな病状は聞いていたので
第一声は、
「長島で~~(旧姓です。)わかるかぇ~~~?」
と明るく
「お~~~どうした?元気か???」
・・・・・・。
元気か?じゃないよね
「聞いたでぇ~~~どういう事なんよ!!!」
と尋ねると
「俺は、もう長くはいきらんねぇ~みたいだな!」
勿論、何を言いよんの~って言ってやりましたが
「みんないつかは逝く訳でさ、俺はたまたま、みんなより ちょっと早いだけだからさ。」
と明るく元気に話しました。
この日から、この同級生と交流が再開です。
最初は、2週間置きのペースで連絡していました。
私が電話をすると必ず
「まだ生きてるよ~」
と言って出ます。
あまりに元気で、様態も安定していると本人が言っていたので
連絡をするのも、徐々に、月1回から、2ヶ月に1回となり‥‥
2ヶ月、連絡をしないまま
お正月を迎え
年始に、メールで挨拶をした所
返信メールには、初めて弱気な言葉が書かれていました。
「同級生のみんなに宜しくと。。。」
そんな事を言わない人なので
電話しなきゃとおもいつつ・・・
年明けの忙しさもあって、後回しに
そんな中、突然別の同級生が亡くなりました。
S君の病状が一段と気になり
葬儀の翌日、急いで電話をしました。
電話に出たS君は
「し・・ん・・ど・・い・・・・・・・」
細く弱い声で私に言いました。
連絡をしなっかった2ヶ月に病状は悪化していました。。。
苦しそうだったので、詳しく訊かずに
病院を確認して、また連絡するといい切りました。
遠く離れた、S君に私達同級生が出来る事は、エールを送る事くらいで・・・・
仲間と千羽鶴を折り贈る事にしました。
全国各地から集まって来た鶴を詩多音で繋げ
合計2400羽の鶴になってS君の元へ
(詩多音にご来店された際、目にされた方も沢山いたと思います。
一緒に折ってくださったお客様もいらっしゃいました。)
到着後、電話がありました。
「凄すぎるよ。ありがとうな。」
地元の仲間っていいでしょう?って言ったら
「本当に凄い。ありがてぇ~なぁ~俺が近くに住んでたらなぁ
会いたかったよ。みんなに。」
そして、私に
「お前さんには、最後まで世話になって、すまねぇな。
申し訳ないが、宜しくたのむよ。」
何度も何度も、電話を切るまで
「ありがとうな。」と言いました。
関東在住の同級生は、私からの連絡を受け
お見舞いに駆けつけてくれました。
しら・さとし ありがとう。
そして、2月22日
しらが、純ちゃん・真理ちゃんを連れて再び、S君の元へ
お見舞いへ行ってくれました。
23日の夕方、しらから電話があって
前日のS君の様子を聞きました。
昔話を、うとうとしながらだけど楽しんだそうです。
しらの背中の温もりに触れ、幸せな時間を過ごしたと思います。
(歩けないS君を、しらがおんぶして運んであげました。)
しら、純ちゃん、真理ちゃんありがとう。
しらとの電話を終えた
数十分後に、S君の訃報が届きました。
離れているので、葬儀・告別式へは参列できませんでしたが
同級生の純ちゃん、さとしが参列してくれました。
ありがとう。
余命を宣告された人を、遠くから 約1年見守ってきました。
今までにない、悲しみを経験しました。
どうしようもなく悲しいのに、涙は流れませんでした。
最後に電話で話した時、S君はこれが最後だとわかって話していたんですよね。
毎晩、寝る前になんか言い残した事は無いの?
話においでよ~と言って眠りに着いていましたが
一ヶ月が過ぎても現れず。。。。
先日、幼馴染みと ヴィオラのコンサートへ行った時に
そう話したら、49日まで まだだし・・・
最後の方でやってくるんじゃない?
と言われ、確かに~~~私は順番遅くて当たり前よね。
と納得
ここからは、あまり信じてもらえないと思いますが。。。。
その翌日、29日(木)
ゆっくりと時間の流れる午後の詩多音
玄関のドアが開き、人が入るくらいの幅まで開き
静かに閉まりました。
詩多音の玄関には、鈴が付いているのでドアの開閉がわかります。
ドアを開けて外を覗いてみましたが、誰もいません。
ん?????と思いましたが、全く気にせず~~~
そのまま帰宅しました。
その日の夜、なんとS君が夢に出てきたんです。
いつもは、はっきりと夢を覚えてるんですが
S君が出て来た事
いっぱい色々話した事。。。(内容は覚えてない)
わんわん泣いた事。。。
長い長い夢だったのに
それしか覚えてないんです・・・・
30日の昨夜も、S君が夢い出てきました。
また同じで、覚えていません。
でもね、なんだか すっきり壮快 なんです。
いつまでも、心の中がすっきりしない1ヶ月だったのに。
29日の訪問者は、S君だと思えています。
短い時間でしたが、私を成長させてくれました。
会うことは出来なかったけど
前向きに生き抜いたS君に、心から感謝しています。
本当に、ありがとう。
ブログを読んでくれている、同級生みなさん
S君の事を、書いていいものかと悩みましたが
私が前に進むためにも、書かなきゃと思えたので。。。。
こんな悲しい別れは、これが最後であって欲しい
別れがわかってから繋がるのは、辛くて苦しくて・・・・
何もない時に、連絡できる仲間でありたいと願います。
色々と、ご協力・ご賛同いただき
本当にありがとうございました。
明日から4月
本当に、スッキリしたスタートになりそうです。
心配をしてくれた友人達、ありがとうね。
もう大丈夫だからね。
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